クリーブランド監禁事件|アメリカで発生した監禁事件の真相に迫る

クリーブランド監禁事件|アメリカで発生した監禁事件の真相に迫る

事件の概要

クリーブランド監禁事件とは、2013年にアメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドで発覚した誘拐監禁事件です。

2002年から2004年にかけて、犯人であるアリエル・カストロはオハイオ州クリーブランドの路上でミシェル・ナイト、アマンダ・ベリー、ジーナ・デヘスースという3人の女性を誘拐し、その後、同じくクリーブランドにある自宅に監禁しました。3人の若い女性は2013年までカストロの家に監禁されていましたが、ベリーが監禁中に出産した6歳の娘を連れて脱走に成功し、警察に連絡したことにより事件が発覚しました。残りの2人のナイトとデヘスースも警察によって救助されています。

カストロは誘拐罪と強姦罪で起訴され、終身刑を言い渡されました。終身刑の1ヵ月後、カストロは刑務所の独房でベッドシーツで首を吊って自殺しました。

クリーブランドの場所を示す地図

犯人、アリエル・カストロについて

アリエル・カストロ

アリエル・カストロ(1960年7月10日 – 2013年9月3日、享年53歳)は、プエルトリコのヤウコ州ドゥエイで1960年に生まれました。幼少時に両親が離婚し、母親と3人の兄弟と共にアメリカ合衆国に移住し、ペンシルベニア州エクストンを経て、親族が住んでいたオハイオ州クリーブランドに引っ越しました。カストロには異父母兄弟を含む9人の兄弟がいます。カストロは1979年にクリーブランドの高校を卒業しました。

カストロは1980年代に近所に住むグリミルダという女性と結婚しました。この結婚の後に、カストロは後にクリーブランド監禁事件の現場となる家を購入しました。カストロはこの妻との間に4人の子供をもうけました。
1993年、カストロは、妻へのDVで逮捕されましたが、起訴されず釈放されました。妻はカストロによって、鼻や肋骨などの骨折や頭蓋骨へのひび、脳への血栓など、夥しいダメージを受けました。その後、1996年に妻が4人の子供たちを連れて家を出ましたが、妻への脅迫が続いたため、2005年に妻が家庭裁判所へ訴え、その結果、カストロは妻への数か月間の接近禁止命令が言い渡されました。妻は2012年に病気により死去しています。

カストロは52歳で逮捕される前、通学バス運転手として働いていましたが、交通違反や、バスの私用利用、子供をバスに乗せたままレストランで昼食を食べにいく行為など、度重なる問題行為を理由に解雇されました。 逮捕時、カストロの自宅は3年間の固定資産税未納で差し押さえ中でした。

アリエル・カストロの出生地のドゥエイの場所を示す地図

3人の被害者

カストロは被害者を車で送ると言って誘拐し、自宅の地下室に連れ込み、監禁しました。

被害者その1、ミシェル・ナイトについて

ミシェル・ナイト
ミシェル・ナイト|写真は監禁からの開放後のもの

ミシェル・ナイトは、1981年4月23日生まれの女性です。ミシェルはソファもコンロもないクリーブランドの貧困家庭で生まれ育ちました。家庭で虐待を受けたことにより、14歳の頃に家出をし、ホームレスとなりました。教会のホームレス支援を受ける中で、教会の信者により父親に報告され、ミシェルは家に連れ戻されました。ミシェルは学校の級友と恋に落ち、18歳で息子のジョーイを出産しました。

ミシェルは2002年8月23日、いとこの家を出た後、行方不明となりました。当時21歳でした。失踪当日、ミシェルは国に保護されていた息子ジョーイに関する子どもの親権裁判に出廷する予定でした。その道中、ミシェルは道に迷い、道を尋ねるために立ち寄った店にて送迎を申し出たのが、カストロでした。ミシェルはカストロが友人の父親だったことから信用してしまい、そのまま誘拐され、それが10年以上の監禁生活の始まりでした。

ミシェルの救出後、警察は彼女が成人であったこともあり、失踪捜査にリソースをさかなかったことを認めています。警察は、彼女が息子の親権を失ったことへの怒りから自ら家出したと考えていました。

被害者その2、アマンダ・ベリーについて

アマンダ・ベリー
アマンダ・ベリー|写真は監禁からの開放後のもの

アマンダ・ベリーは、1986年4月22日生まれの女性です。アマンダは2003年4月21日、17歳の誕生日の前日に失踪しました。 午後8時頃、仕事先だったバーガーキングから家まで送ってもらう為に姉に電話したのを最後に行方が分からなくなりました。このときアマンダはカストロに誘拐されました。彼女はカストロの娘であるエミリー・カストロと同じ学校に通っていました。

その後、テレビ番組の企画でアマンダの母親であるルワナ・ミラーは、自称霊能力者によってアマンダは死んで水中に死体があると告げられました。それによってルワナは絶望の淵に沈んでしまいました。ルワナは2006年3月初旬に心不全で亡くなるまでアマンダを探し続けました。その年の終わりである、2006年12月25日、アマンダはカストロによる性的暴力によって身籠った娘を出産しました。娘はDNA鑑定により、カストロが父親であることが照明されました。

被害者その3、ジーナ・デヘスースについて

ジーナ・デヘスース
ジーナ・デヘスース|写真は監禁からの開放後のもの

ジーナ・デヘスースは1990年2月13日生まれの女性です。ジーナは、2004年4月2日、14歳のときに行方不明になりました。彼女が最後に目撃されたのは、午後3時ごろ、通学していた中学校からの帰宅経路にある公衆電話でした。当時、ジーナはカストロの娘アーリーンと友人でした。ジーナとアーリーンは、アーリーンの母親でカストロの元妻であるグリミルダに、ジーナの家でお泊り会をする許可を得るために公衆電話から電話をましたが、グリミルダは許可できないと答え、ジーナとアーリーンはそれぞれ帰路につきました。アーリーンは、失踪前にジーナに会った最後の人物でした。ジーナはこの帰宅途中にカストロに誘拐されました。

ジーナは、カストロがアーリーンを家まで送るために迎えに来ているという印象を持っており、友人の父親であったことから、カストロを信頼していました。彼女の誘拐を目撃した者はおらず、アンバーアラート(子どもの誘拐事件が発生した場合に、その子どもをいち早く救出できるように、テレビ、ラジオ、インターネットのポータルサイト、ハイウェイの電光掲示板 などを使って緊急速報 を流すシステム。引用:Amber Alertの意味・使い方|英辞郎 on the WEB)も発令されなかったため、ジーナの父親は激怒しました。

誘拐から10年にわたる監禁

3人の女性は事件が発覚する2013年までの約10年間、カストロの家の施錠された部屋に監禁されました。その間、3人はカストロに性的暴行や虐待を受けていました。

ミシェルはカストロにより、少なくとも5回は妊娠させられたと主張しています。カストロはそのたびにミシェルのお腹を殴る、壁に叩きつけるなどの暴行を加えて流産させました。

ジーナはカストロにレイプされたと語ったが、妊娠させられたとは考えていませんでした。

2006年のクリスマスに、アマンダはカストロの子供を出産します。カストロはアマンダの子供の出産を手伝うようミシェルに命じました。その出産は小さなビニールプールで行われ、子供が死んだ場合はミシェルを殺すと脅しました。子供は一時的に呼吸が止まりましたが、ミシェルは子供を蘇生させることに成功しました。そのときに生まれた女児は救助時に6歳まで成長した状態で救出されました。

カストロは、時折アマンダとの間に生まれた娘を家から連れ出しました。娘はカストロを「パパ」、カストロの母親を「おばあちゃん」と呼んでいました。2013年、彼は成人した娘の一人に娘の写真を見せ、その子は以前交際していた恋人との間に生まれた娘だと伝えていました。

アマンダは娘に読み書きを教えるなどをして、監禁中に必死に子供を育てました。

誘拐事件後、事件発覚までに警官がカストロの自宅を訪れたのは、関係のない事件について事情聴取するための一度だけでした。その時カストロは家にいなかったようで、その後別の場所で事情聴取を受けました。近隣住民は、カストロの家で不審な行動が見られたとして警察に通報したと言っているが、警察はそのような通報の記録はないと主張しています。

カストロの息子アンソニーは、家の中に鍵がかかっていて立ち入ることができない場所があったと警察に報告しています。

脱出と救出

2013年5月6日の朝、アマンダは隣人に助けを求めることができ、6歳の娘を連れての逃亡と、警察によるミシェルとジーナの救出につながりました。

警察によると、カストロはその日外出しており、アマンダは、外側の雨戸には鍵がかけられていたものの、内側のドアには鍵がかけられていなかったことに気付きました。警察の報告書によると、アマンダはカストロが「自分を試している」と考えたため、外側のドアを破ろうとはしませんでした。以前、カストロは家の鍵を一部開けっ放しにして、女性達が逃げようとすると暴行をする行為をしていました。その代わりにアマンダは網戸越しに隣人を見つけると、助けを求めて叫びました。

隣人のドミニカ人男性のアンヘル・コルデロは悲鳴に気付き救助にきましたが、英語をほとんど話せなかったため、アマンダとコミュニケーションをとることができませんでした。アンヘル・コルデロは火事かと勘違いしましたが、アマンダの救助に当たります。別の隣人のチャールズ・ラムゼイも悲鳴に気付き、コルデロと2人で雨戸の下を蹴破って穴を開け、アマンダは娘を抱いてその穴から脱出しました。救助されると、アマンダは別の隣人の家の電話を借りて警察に通報をしました、
通報を受けて駆けつけた警官がカストロの家に突入し、銃を構えて2階の廊下を歩き、警察が救助に来たことを告げました。ミシェルとジーナは無事に警察に救出され、アマンダと共に病院に搬送されました。アマンダとジーナは救出された翌日に退院し、ミシェルは4日後の5月10日に退院しました。

逮捕とカストロの死

カストロは、被害者が救出された直後にマクドナルドの駐車場で逮捕されました。カストロは2013年5月8日に4件の誘拐罪と3件の強姦罪で起訴され、オハイオ州では10年から終身刑の実刑判決が下されました。 カストロの兄弟であるペドロとオニルの2人も当初は拘束されましたが、警察が誘拐には関与していないと発表したため、5月9日に釈放されました。

カストロは5月9日、裁判所に初めて出廷し、保釈金は誘拐罪1件につき200万ドル、合計800万ドルに設定されました。起訴された罪状は、殺人(意図的に流産させた為)、殺人未遂、暴行、強姦罪、誘拐罪などです。 カストロは、すべての罪状に対して「無罪」を主張しましたが、最終的には仮釈放なしの終身刑となりました。

カストロは、投獄が始まって1ヶ月が経った2013年9月3日の夕方、ベッドシーツで首を吊っているところを発見されました。死亡時53歳でした。

参考文献

Michelle Knight’s triumph over 11-year captor Ariel Castro: ‘He doesn’t define who I am’ – ABC News
https://abcnews.go.com/US/michelle-knights-triumph-11-year-captor-ariel-castro/story?id=67857015

Neighbor Angel Cordero played a key role in Cleveland women’s escape | CNN
https://edition.cnn.com/2013/05/09/us/ohio-cleveland-escape/index.html