サンドラ・グッド|マンソン・ファミリーのメンバー

サンドラ・グッド|マンソン・ファミリーのメンバー

サンドラ・グッド(Sandra Good)

1944年02月20日生まれ(テート・ラビアンカ殺人事件当時:25歳)

マンソン・ファミリーのメンバーでリネット・フロムの友人。

生い立ち

グッドは、カリフォルニア州サンディエゴで航空エンジニアの娘として誕生しました。
グッドの両親は彼女が4歳の時に離婚しています。グッドは高校卒業後、カリフォルニア州立大学サクラメント校、オレゴン大学、サンフランシスコ州立大学の3つの大学に合計7年間在籍しましたが、いずれも卒業はしませんでした。

マンソン・ファミリーとの関わり

グッドは1968年4月にマンソン・ファミリーに加入しました。テート・ラビアンカ殺人事件が起きたとき、彼女は盗んだクレジットカードを使おうとした罪でメアリー・ブルナーと一緒に刑務所にいたため、事件には関わりませんでした。

彼女はテート・ラビアンカ殺人事件の翌月に出産し、息子が1人います。父親としては様々な男性の名前が挙げられていますが、不明です。

リネット・フロムがジェラルド・フォードの暗殺を企てた直後に、グッドはラジオ局の電話インタビューで、彼女がATWAと名付けた環境保護団体が、環境破壊に対しての報復のために、環境破壊に関与した企業経営者やその家族に対しての殺害予告を行いました。その後、CBCのラジオ番組のインタビューでも、同様の殺害予告を行いました。

刑務所暮らし

1975年12月22日、グッドとマンソンのもう一人の信者であるスーザン・マーフィーは、地球を汚染していると看做した170人以上の企業の幹部に対する殺害予告に関連して起訴され、15年間の実刑判決を受けました。

仮釈放

グッドは15年の刑期のうち10年近くを終えた後、刑務所から仮釈放されました。
多くのマンソン・ファミリーのメンバーと異なり、事件から時が経っても、グッドはマンソンへの忠誠を表明していました。

仮釈放後、グッドはマンソンに近づくため、マンソンが収容されている刑務所の近くに引っ越しましたが、有罪判決を受けた重罪人として、マンソンに面会することは許されませんでした。

1996年1月26日、ジョージ・スティムソンと共に「アクセス・マンソン」というウェブサイトを運用し始め、 グッドもウェブサイトを使ってマンソンの環境団体「ATWA」を支援しました。このサイトは現在は閉鎖されています。

2019年のインタビューで、グッドはマンソンの功績を称えており、いまだにマンソンへの忠誠を表明しています。